「竜とそばかすの姫」を観てきました。

諸事情あって「竜とそばかすの姫」を観てきました。以下ネタバレを大量に含むレビューです。

ryu-to-sobakasu-no-hime.jp

 

筆者の細田作品履修状況
よかったところ

とにかく映像は興味深かったです。

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電脳空間の解釈については言いたいことがありますが(後述)、画面に現れている映像そのものは2021年のアニメーションとしてはトップクラスであることは間違い無いと思います。「映画館で映画を観る」のはやっぱり映像体験が主だよね、という立場なので、この動画が観れただけである程度満足ではありました。

 

音楽およびボーカルも迫力があり、シナリオに依存なく映像と音楽だけで感動してしまうという稀有な体験ができます。お笑い芸人がでかい声出しているだけで面白さが何割か増してしまうののもうちょい込み入ったやつですね。

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連想した作品

ディズニー疎いので、「美女と野獣」の翻案であることに気づくのにだいぶ時間がかかってしまいました。電子的に他人とつながれた人物の正体が…という作品だと、ティプトリーJr.の「接続された女」が出色だと思うのですが、読んだのがかなり前で記憶がぼんやりとしています。今検索したら電子版が無いですね…文庫どこにしまっただろうか…

 

うーん、なところ
  • 演技

(アニメのコアファンでは無い)一般向けを志向したアニメーション作品で、声優としての技量が不足しているキャストが出てくるのには慣れっこであって「味」だなぁと脳内変換できる程度には寛容ではありますが、こっちが慣れていてもキャストの技量が足りてなくても良いということは意味しません。

 主人公の歌う女子高生役は歌手が声優も兼任しており、声優としての技量を求めるのが難しくはありますが、歌と役者を分離する方法もあったわけでして。

 やたらとうまいなーという役の配役を後で確認するとベテラン・舞台経験豊富・本業などでまぁそうだよね、といったかんじです。

  • 脚本

 とにかく「そうはならんやろ!」の連続です。フィクションなのでこれは野暮なのはわかっているんですが、現代劇であり、社会問題を意図的に取り込む脚本を書いているのであれば「そうはならんやろ」感をうまく解決してほしい、というのが個人的立場です。

 冒頭、主人公の母親が水難事故で亡くなってしまう場面が描写されますが、見ず知らずの子供を助けに行くのに救命胴着のみ、という描かれ方でした。職業的義務感ではない無償の愛で他者を助ける様子、を描きたかったのは本作品後半の展開でもわかります。ただやはりこれはどう考えても無謀です。さらにその後その無謀さを指摘するようなインターネットの書き込みがある、という描写を書き込みに対してネガティブな意図を持って展開されているのがどうも腑に落ちません。ネットに書き込むかどうかは別として、そりゃ自分の子供に対して無責任と思うのが自然でしょう。

 主人公が仮想世界で歌った歌が突然バズることで話が動き始めます。なんらかの潜在的な能力をデバイスが読み取って超人的な歌を仮想空間に出現させたのかな?と思いきや、直後に素人が歌って素人が編曲したものだとわかります。それじゃあそんなにバズらんやろ。それにバズるまでの経緯がさっぱり目なのに対して恋愛パートが長くてそのバランスなのかなぁ?という疑問。

 主人公は突然乱入する「竜」にえらく思い入れをしてしまいます。Unveilが重大なインシデントであると描写されているにも関わらず不躾にも正体を知ろうとする主人公失礼じゃないですかね?そこはまぁ理由ないこととか好奇心とかあるかもね、と諦めていましたが、後半で発達障害と虐待をネタとして突っ込んできます。いや、それ必要ですかね?主人公と同様の「不慮の事故や病気で肉親を亡くしてしまった傷がまだ癒えていない」くらいの相手では不足なのでしょうか?

 荒々しい竜の<As>が生まれるに足りる内面を、ということでこれらのエピソードを選んだのだとしたらちょっとお金を払ったことを悔やむくらいの選択だと思っています。「突然肉親を失った悲しみからの回復」は創作の定番のテーマです。アニメーションでもそこを丁寧に描いた作品はあります。この描写に不用意にセンシティブな要素を突っ込んでこまれる作品はnot for meかな。

 虐待というセンシティブなネタを扱った割にはその現場(とはいっても具体的な家までは特定できていない)に女子高生一人で悠長に深夜バスで向かわせるし、案の定そこで相手の父親とトラブルになるんですよね。いやおばさまがた駅まで送るだけじゃ無くて東京まで一緒に行ってくださいよ。そして都合よく男の子が路上に出てきて主人公が睨みつけて虐待父が腰抜かして退散。男の子は「戦うよ」みたいなセリフを言って…ってなりますが結局何も解決してない。だったらなぜかヘリコプターが運転できるような設定のキャラをそれまでに出しておいて高知から関東まで飛ぶ!みんなで!みたいな振り切った演出があった方がもうちょいなんとかなったんでは無いかなとも思います。

 仮想世界に50億アカウント=人いるとぶち上げてBellが世界的ムーブメントであるような描写があるにも関わらず最終的な関係者が全員日本人、最終場面も高知からギリギリ半日でいける関東地方という御都合主義は自分の限度を超えてました。<U>自体を日本国内かつ特定の世代にのみ知られている比較的クローズドな仮想世界と設定してもらった方が納得感が強かったように思います。

 仮想世界の描写については項を改めます。

  • 仮想世界の描写

サマーウォーズ」でもそうでしたが、電脳空間の描写に違和感が大きいのにも問題があると思います。

仮想世界<U>ではアバターである<As>を装着します。<U>で人生をやり直そう、といったメッセージが序盤で強調されますが、<As>は生体データから自動生成される、同一人物が二つもてない、本人の生体データの影響を受ける、といったように、とても人生のやり直しに使えるようなものではありません。

「50億アカウント」という表現も、複数アカウントありならありかなー、くらいに思ってましたが中盤で複垢禁止と知らされてうへぇ、と思いました。

3次元的な仮想空間でアバターが特定の空間を占有する、という描写を「サマーウォーズ」から繰り返し採用していますが、そういったUIを提供する・される利点がサービス提供者にもユーザにも現時点ほとんど無く、むしろセカンドライフなどはこれ系SNSの「失敗」と見なされているはずです。マップ上に何らかの目的(アイテムなど)がある、ゲーム的な世界が提供されているなら話が変わるのですが、劇中で<U>で盛り上がっていることと言ったら音楽ライブくらいで、それなら配信じゃん、と思うわけです。

50億アカウント(=人)も抱えているのに運営がいなくて私警察みたいなのが跋扈しているのってどういうこと?かなり重大な違反者(しかもその違反がどういったものかが描写されていないし)に対してUnveilという「アカウント所有者本人の姿を<U>に晒す行為」があり、なぜか私警察みたいなものにその権限が付与されてる。なぜ? Unveilが恐ろしい行為と言われてる割には他のSNSと連携して本人の顔晒しているユーザーいるんですよね。なぜ?

バイスを装着している間の本人の知覚の状況がどうにもよくわからないんですよね。冒頭の描写だと聴覚だけでは無くて視覚や触覚も仮想空間のものに置き換えられるように思えるんですが、途中では外で歩いてる途中でログイン試みてるんですよね。?

なんだか、「サマーウォーズ」の時点で監督の仮想空間に対する理解の度合いが、いくらフィクションでも自分とはギャップがでかいなぁ…と思っていたんですよね。みんなで力合わせて、のように描写されていましたが内容はクラッキングとかその類でしたしね。それで今回も仮想空間をネタにするというのでどうなんだろう?と興味を持っていたらあんまり変わってなかったというオチ。いや、もうちょっと詳しい人か、整合性保てるようなアドバイザに相談したりはしないんでしょうか…

 

1回のみ見て書くレビューとしてはこの程度が限界です。それでは。