「君たちはどう生きるか」を見てきました(ネタバレ含むレビュー)

君たちはどう生きるか」を見てきました。当然見直しなし、他のレビューも最低限のみ参照したレビューです。物語の構成上順序の記憶が曖昧です。ネタバレを大量に含みます。

 

www.ghibli.jp

 

宮崎駿スタジオジブリに対する著者の状況

  • スタジオジブリの劇場公開長編は半分以上は見ているはず
  • 最近の数作はテレビでも見ていない

総合的な評価

「慌てて見に行く価値はあった」と思います。

劇場アニメーション映画ですので、まずは何よりも映像体験を評価すると、これは圧巻。シナリオも(表面的)には家族モノの範疇で、その上で各登場人物の心境や葛藤の克服をこのように映像化するんだ!という驚きに溢れていました。

が、スタジオジブリという看板に何を求めるのか?本編外にあるメタファーや参照などをどの程度許容するのか?で評価が分かれると思います。以下各論。

メインストーリー

事前に「ストーリーがわからなかった」という評判をチラホラ見ていたので心配していましたが、大枠はそこまで難しいものではありませんでした。どのレベル・どの箇所で「わからなく」なってしまったのかが個人で大きく別れそうです。

表面的なストーリーの骨子は「母を亡くし、母の妹が後妻となった少年が、新しい家族を受け入れるまでの葛藤」で説明しきって良いと思います。

序盤、主人公が母を火事で亡くす場面、そこから後妻と同居し田舎の小学校に転校するシーンまでで、かなりわかりやすく「新しい環境への適応の難しさ」が描かれていました。新しい母親(登場時に予想できた通り、亡くなった母の姉妹。昭和初期までは若くして妻が亡くなった時、その姉妹と再婚するのは珍しくなかった、とどこかで読んだ記憶があります)や父親がかなり無神経な対応(対面してすぐに妊娠している腹を触らせる、自動車で小学校まで送って成金を見せつける)をするのですが、悪意ではなさそうなところが厄介です。戦争特需の成金の息子、という身分は利発なお子さんなら居心地悪いでしょうし。わかりやすく、そりゃーうまくいかないよ、の連発です。まぁ、小学校で一発で軋轢を生むのは、自宅に引きこもらせる作劇的な理由もあったように思います。

青鷺の、母の死体を見ていないのでは?というのは、母が亡くなったことを受け入れきれていない真人の心情を外から語らせたのでしょう。

そして青鷺の導きで奇妙な塔の内部での冒険が始まるのですが、ここの中盤以降しばらくの場面転換のテンポや説明不足の感じが自分にはちょっと合わず。画面作りは都度都度ハイカロリーですが、物語の動かし方とあっていたかというとそうは感じませんでした。ちょっと眠くなってしまった。あ、婆さんと火を使う船頭の服が一緒だったのはすぐに気づきたかったですね。

ヒミは火を使っているので火の巫女=ヒミコ、ということでしょうか。火事で亡くなった母親な感じがしますね。産屋に入ってナツコと真人は一旦決裂するわけですが、この辺は後妻と連れ子の確執を描いたものとして結構単純な表現だったと思います。そうするとナツコも現状の生活が不安であり、そういった人々が青鷺の唆しによりあの不思議な塔に誘い込まれたことになります。

ヒミはどうなんだい?と思うのですが、描写的には現実が不安というよりは、現実離れした空想に長けていたので塔に誘い込まれたのでしょうか。

ラスボス・大叔父は不安定な積み木を組んでいて、敵かと思っていた鳥の帝国はどうやら共存共栄の関係らしい。大叔父はこの鳥との奇妙な世界のバランスを保つ後継を探していて親族(血が繋がっている方)である真人に白羽の矢を立てた、という流れ。あ、血縁者は全員誘い込まれたのかな?でも青鷺は、やっと選ばれた人間が…のような発言してたし。多分後継者の本命はヒミだったように思えるんですが、なんらかの理由(本人が嫌がった?女性だから?若くして火事で亡くなってしまったから??)で後継では無いようです。

でも大叔父様、どうやらそこまで作り上げた塔に執着があるわけではなく、断られてもしょうがないな、という描写に見えます。最後には真人が新しい家族と仲間を作るんだ!と高らかに宣言し、共存共栄していたはずの鳥の王が積み木をぶった斬って塔が崩壊。みんな元通りになってめでたしめでたし、という塩梅です。真人が新しい生活を受け入れるために、タイムトラベル的に母親の若い(幼い)頃と出会うことが必要だったんですよね(でも実際にはそんなこと無いですよね)という表現。

うん。表ストーリーはそんなに難しくはない、ところまで画面だけからちゃんと読み取れるぞ。

作画とモチーフ

上記ちょっと言及していますが、画面とその動かし方はやはり圧巻でした。アニメーション映画である以上、映像体験は評価と切り離すわけにはいかず、この点では日本アニメの歴史上のある種の到達点を見せてもらったのは間違いないと思います。

モチーフとしては過去作品(昭和初期の田舎、圧倒的存在感の老婆たち、この世と異世界の接続、崩壊する城、荒ぶる海…)の引用をふんだんに含んでおり旧作ファンがより楽しめる作りです。父親の工場が飛行機関連なのも露骨すぎて笑えました。

というより、この作品に出てくるイメージのうち脚本に合う素材を採用してきたのが過去作品だった、のかもしれません。生物の動きの描画もさすがです。鳥は写実的とデフォルメの滑らかな転換が作画上の見せ場だったと思います。

裏ストーリー

で、浮くのが「大叔父と墜落してきたアレはなんだったのか?」です。物語を駆動するための説明不要な仕掛け、と思っても良いのですがそれにしても気になる。

特に気になる点として、作中、かなり違和感のあるセリフとして「13個」という具体的な数値があります。ここで具体的に積み木の個数に言及する必要ってほとんど無いんですよね。

ということで、鑑賞後色々考えてたんですが、どうやら宮崎監督のスタジオジブリでの監督作品数ではなかろうか、という仮説に辿り着きました。

とすると、大叔父=宮崎駿、奇妙な塔はスタジオジブリで、この映画のもう一本の線(裏ストリー)は宮崎駿監督が後継者探しをする(そして失敗した)」という解釈ができそうです。

突如才能が天から降ってきて、それを生かすために多大な犠牲を払って塔=スタジオを設立。世間から消えたようだとか頭がおかしくなったとか言われつつも、鳥たち=スタジオジブリのスタッフと共存共栄で13個の作品を作ってきたが後継者がいない。血縁に白羽(鳥だけにw)の矢を立てたもののどうやらそれも芳しく無い。そして最終的に鳥のボス=スタッフのトップ(=プロデューサー?)が癇癪を起こして塔は崩壊し、鳥たちは塔の外でただの鳥に戻ってしまう…。

君たちはどう生きるか」が、「スタジオジブリ宮崎駿を失ってからどうするの?」という意味になってしまいます。本作は社員向け研修ビデオ作品だった…??

(なんとなくうまく収まったように思える解釈ですが、ここまで露骨なことやるかなぁ?よくわかんないですねー、とお茶を濁しておきます。一個人の解釈です。)

音楽と演技

音楽については正直あまり気を配れていませんでした。画面と物語の解釈に忙しかったので。ただ、繰り返しに聞こえる単調な演出と感じてしまい、音楽の効力はうまく感じられませんでした。

そして過去のジブリ作品でも、個人的に非常に不満に思っている「声優として素人の演技」の悪いところが全面に出てしまいました。真人、ヒミの演技は、絶賛できる画面の凄さや、解釈しがいのある物語の深さを全部吹き飛ばして有り余るほどの棒。これは断言してしまおう。表のストーリー上では後半、亡き母親と新しい母親であるナツコに対するわだかまりを解消していくカタルシスのある真人とヒミのやりとりに感情の機微が乗っていなかったのには苦笑してしまいました。どっちか一人なら味になるけど、両方ともだと味にはならんですよ…

(作画に関わったスタッフは、自分たちが心血込めた映像に載る演技がこれで満足していたのだろうか…)

紅の豚」あたりから、アニメーション声優専業の役者の起用が減ってきたスタジオジブリですが、起用した役者が声優としても技量が十分、役にもあっているのであれば問題は無いです。森山周一郎さんは最高でしたよね。スポンサーや一般へのプロモーションのために有名な(声優専業では無い)俳優を起用しているんだな、商売難しいな、と解釈してきましたが…(今でも「ハウルの動く城」のソフィーは若い女性声優が老婆役を演じる、または複数の俳優を起用するべきだった、と思っています。木村拓哉氏の演技がかなり良かっただけに残念)。

監督がなんらかの理由で専業声優を好ましく思っておらず起用もしない、というのは個人の自由ではありますが、いくらなんでもその道のプロに対する敬意が欠けてはいないだろうか?と思い続けていたのが最後(多分)の作品でもそうでした。

 

色々と書きましたが、世界のアニメーション界で一時代を築いた監督の(多分)最後であろう作品を見れたのは幸運なのだと思います。ちょっとずつ、いろいろなものが過去になっていきますね。自分も歳を取ったものだ。

 

追記:自分が連想したもの