「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」感想(ネタバレ大量)

「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の感想です。ネタバレ多量です。

この作品に関する著者の予備知識

  • テレビシリーズがあったのは知っているが、未視聴
  • 舞台や音楽活動をしているのは知っているが、未体験
  • 公式サイトの予告動画は見ました。(本編見る前はポカーンって感じでしたが、見た後だとヤバイですね…)
  • www.youtube.com

  • DIALOGUE+JAMで曲が歌われてたのは知っている。

 

日劇場版をふらりと見たばかりの私がネタバレを多量に含む感想と考察を書きます。未視聴の方は読まないことをお勧めします。

 

「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」感想(ネタバレ大量)

メインテーマは「役者として生きる覚悟」でしょうか。普遍的には「大人になる手前の不安定な少女期からの成長」に回収できそうではあります。

 

芸能・演劇系の高校が舞台。宝塚っぽい感じもするが、卒業後の進路が多様なところを見るとちょっと違うようである。

  • 以前NHKで見たロシアのバレエ専門学校のドキュメンタリーを思い出す。

www.nhk.jp

 

その学校を卒業するにあたり、各キャラの進路希望が面談の形で説明された後、レビュー形式でそれぞれの進路に対する恐怖と覚悟が描写される。

  • ここが巧みで、キャラ紹介とその後の展開にとてもスムースに繋がっている。一見さんにもやさしい。

各キャラは基本2名の組でなんらかのつながりがあり、それぞれの関係における進路選択の葛藤とその解決の場面の積み重ねで進行する。

  • 序盤の賭場のシーンでなにこれ?ってなるけどちゃんと二人の関係を理解させる台詞が入っていて、これが終わるとあーそういうことね後何人何組だっけ?って分かる仕組み。

これらの描写が様々な形式の演劇・舞台のプロダクションをモチーフに展開されている点が見どころの一つ。

メインキャラの2名も幼年期からの(やや異常な)因縁が要所要所でインサートされる形で描写され、最後に主人公がその因縁との決別を果たす形で終演を迎える。

 

と筋を書いてしまうとそんなんでもない感じだけど、この映画が素晴らしいのは各場面での画面の外連味や演出(「ワイドスクリーン」で「バロック」な匂いはする。後述)。映画は視覚芸術であり、アニメでしか実現し得ない画面の素晴らしさがほぼ2時間全てに渡って間断なく続く。劇場の映像体験としては圧巻。ではあるがただの映像体験のみになっていないバランス感覚もまた圧巻。

 

各キャラが役者と生きて行くことの困難さや、役者という存在が本質的に持たざるを得ない毒のようなものを各キャラが受け入れて成長していく様子を、さまざまな演劇の演出形式を連発して見せて行くところが本当に圧巻。僕は舞台演劇ぜんぜん詳しくないんですが、「こういう演出ありそう」ってモチーフが満載だったので、詳しい人はもっと興味深く見れるんじゃないでしょうか。「どれが現実ですか?何か悪い夢でも見せられているんだろうか…?」という感覚は、今敏監督の「千年女優」「パプリカ」を連想しました。

 

あと各レビューパートは当然歌劇でもあり、役者かつ声優としての中の人の技量が存分に発揮されている。三森さんは某アイドルコンテンツや百合っぽいあれとはずいぶん印象が違い、やっぱりプロの役者さんすごいわぁ…となりました。

 

気づいたモチーフなど(思い出した順)
  • ワイルドスクリーン・バロック:元ネタは「ワイドスクリーン・バロック」でしょうか。SF作品の1ジャンルを示す言葉ですね。

    ja.wikipedia.org


    私自身は「ワイドスクリーン・バロック」を意識して読んだことがないですし、定義の理解も曖昧ではあります。が、語感からして「ワイドスクリーン」=「画面や舞台を、物理的な意味でも設定的な意味でも広く飛び回る感じ」、「バロック」=「どこかいびつで仰々しく派手である」であるとすると、この作品全体の印象と一致しますね。
  • 剣劇:それぞれのキャラ同士で唐突に剣劇が始まるのだけど、これは「存在をかけた闘争」かな?誰か哲学者の有名な思想か用語があった気がするけど忘れてしまった。
  • 血:序盤に結構グロ目の流血シーンがあって「そういう作品なのー?」と思ったけど演出でしたー、という演出でした。血は死のイメージで、死からは再生を連想させる。過去との決別。「ワタシ再生産」ってのも出て来ましたね。
  • キリンとトマト:最後に燃えちゃうキリンですが、序盤からなぜか出てきて「この映画ただもんじゃねぇなぁ」と思わせる役割でした。なぜか声もいい。トマトは血や心のモチーフと理解。突然潰れたり、落ちてきたり、食べる=体内に取り込むってのはそういうことかと。野菜でできたキリンはアルチンボルドですかね。アルチンボルドはフェリペ2世様すごいっす!と持ち上げるために描いたようですが、非生物である野菜がまとまって生物であるキリンに擬態することが演技の暗喩になっていたと解釈しています。

    bijutsutecho.com

  • 電車:序盤で変形して屋根に登ってチャレンジャー!になってアラフォーおっさんが笑うところでしたが、劇中鉄道(多分丸ノ内線)は主人公が通学やレッスンに使う路線として登場します。演じることそのものよりも、幼少期の友人との因縁(約束)が演技の世界に居続ける大きな動機になっていた主人公にとって、鉄道とその路線は自分で知らずのうちに決めてしまったレールの象徴でしょうか。複数のキャラが志望する劇団の見学に行く途中の電車で本編がスタートするのもこういう意味でしょう。
  • 星のボタン/ガウン:要所要所で星のボタンやガウンが落ちる描写があった。多分役者としての挫折、みたいなものだと思ったのだけど。
  • 主人公たちの髪留め:幼少期からの約束(因縁)として主人公二人の間で交換された髪留め。最後の最後で落ちたのは、それぞれ相手の存在に囚われてきた二人が、自分自身で役者として生きて行く決意を固めた瞬間の表現、でしたかね。
  • タワー:これも幼少期からのシーンで繰り返し登場。最後のあれはタロットカードの解釈だとすると、幼少期のシーンもタロットカードの解釈だとして、あーなるほど、と思わされます。あと電車が倒れたタワーを登って行ったのは完全に銀河鉄道だった。
  • 文学少女:キャラ名を覚えてないんですが、眼鏡っ娘文学少女が文学哲学作品を引用しまくった後、「他人の言葉じゃ、ダメ!」と叫ぶシーンは、まぁベタではありますが熱かったですね。
  • 空虚な枠:文言覚えてないですが、役者とはどうあるべきか?みたいなところで「なんでも入れられる枠がよい」みたいな主張に対してカウンターが当たる、という熱い展開もありましたね。お客は演技で完全に役になりきり自分を殺すような技術も見たいのだけど、やっぱりその人がその人であるような感情の発露のようなものも見たいよね、贅沢だよね、のようなテーマだと思いました。
  • 凸マークとポジション・ゼロ:途中でそれとして出てくるまであの凸物体何?と思っていましたが、バミリのマークですね。「ポジションゼロ」は舞台の中心だったはず(左右方向に正負で位置を示す)

他にもあったような気がしますが、脳みその容量的にこれが限界でした…

それでは。冒頭を見直して、おぉぉ…ってなってます。

www.youtube.com