人生の選択を描くということ

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上記のポストからの続編です。思いついた順に書いているのでバラバラです。

 

複数作品のネタバレを含みますのでご注意ください。

 

人生の選択を描くということ

「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」は煎じ詰めると役者という職業を選択した少女たちの葛藤と決意(のみ)を描き切った作品なわけですが、これを見て思い出したのは以下の作品です。

 

「GA-芸術科アートデザインクラス」は美術系の高校に通う女子高校生を描いた作品です。

序盤は美術科あるあるや美術のメタなネタを仕込みつつ、可愛らしいキャラクターが動くのを愛でる日常系の趣です。アニメ化もされましたが、そのような作りでした。残念ながら2期が作成されることはありませんでしたが…

 

ただ、最終巻である7巻に入ると、「なぜ美術科に入学したのか?」「高校で美術科を選ぶ・美術を学ぶとはどういうことか?」という問いがテーマとして現れます。必ずしも高校で選択する必要はない(大学から専門教育課程に入ることも珍しくない、という意味)「美術」。将来のなんの役に立てられるのかもわからない「美術」。それを学ぶための専門高校というものに対する教師・生徒の葛藤や自問が描かれていきます。早すぎる特殊な選択であるが故に人生に必ずしも良い影響ばかりではないこと、しかしその才能の有無は幼少期に挑戦しない限り発見できないこと。にも関わらず、幼少期の原体験に導かれてこの分野を志すに至ってしまった、ある意味熱病にかかったような経緯、など。これらが常につきまとう芸術分野の学校を、作品として描く際に避けてはいけないことをきっちりと描写しました。

 

この点が僕がGAという作品を好む理由です。この辺りに無自覚であったり無視しているような作品は、キャラが可愛らしくてもちょっとなぁ…他の作品読むかぁ…という気分になってしまいます。

 

というわけで「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」に戻るわけです。

普通の楽しみ、喜びを焼き尽くして、運命を果たすために。 わずか5歳で運命を溶鉱炉に。

cinema.revuestarlight.com

Webサイト上のアオリ文ですが、主人公が5歳で演劇の道に入ってからがこの映画の主旋律となっています。GAとは異なり、レヴュースタァライトで主人公が目指す学校はより苛烈な競争の結果入学できる高レベルな学校であることが強調されます。5歳で演劇の道を目指してから、通常の学生としての生活を失っていく様子もきちんと描かれています。その努力が報われる保証はないのですが、それだけ努力を注ぎ込むことでしか挑戦の権利すらない分野です。

 

わずか5歳でのその選択は自我の明確な確立の後であったわけではなく、役者を目指した理由、その結果空虚となってしまった主人公が役者として生きていく決意をする過程が映画のメインラインとなっています。早すぎる決断と投じた努力が緊張感を高め、クライマックスのカタルシスを素晴らしいものとしています。

 

こうやってまとめてみると、「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」はかなり普遍的でオーソドックスなテーマを扱っており、それが「初見でもきちんと感動できる」映画に仕上がっている要因となったのではないのかな、と思います。